2017.11.13
From:古賀公治
尼崎テクノランドより、、、
こんにちは、ティーチングプロの古賀公治です。
今日はあなたに、
「トム・ワトソンとそのキャディの物語…」
について、お話ししたいと思います。
有名な話なのでご存知の方も多いかもしれませんが、
私の大好きなトム・ワトソンの話をシェアさせてください。
メジャー8勝のレジェンド
トム・ワトソン(Tom Watson)はスタンフォード大学卒業後、
1972年にプロとしてPGAツアーに参戦しました。
・マスターズ 2勝
・全米オープン 1勝
・全英オープン 5勝(歴代2位タイ)
全米プロゴルフ選手権のみ優勝していないものの、メジャー8勝。
まさにゴルフ界を代表するレジェンドの一人です。
さて、そんなトム・ワトソンですが、
ツアー参戦を開始した翌年の1973年。
トムは、その後30年もの間キャディとして連れ添う
18歳のブルース・エドワーズ(Bruce Edwards)に出会います。
ブルースはキャディとしては若かったものの、
彼の手帳には細かいメモをびっしり書き込まれていました。
グリーンでのパットのアドバイスも的確だったと言います。
近代キャディの草分け
当時は、キャディがコースの攻め方をアドバイスすることは
あまりありませんでした。
単にバックを担ぎ、クラブを渡す役割がメインでした。
そういう意味では、ブルースは
近代キャディの草分け的存在だったということです。
そんな才能あふれる二人であったがゆえに、
時に衝突することもあったそうです。
とある試合のコース上でのこと。
ブルースは、飛距離の出るクラブで
池超えのグリーン狙いを提案しました。
ですがトムは、池に落ちる危険を避けようとして、
確実にグリーンに載せたいと思い、レイアップを選択しました。
そんなトムに対し、ブルースはこう言い放ちました。
「ミスが続いたから諦めるのか?
あなたらしくない。自信を持て!」
そう言ってブルースは、自身が提案したクラブ、
そしてトムが指示したクラブを置いて行ってしまいました。
その後、トムが手にしたのは
ブルースが提案したクラブ。そして。。。
そのショットは、見事にグリーンをとらえたのでした。
ブルースはトムからグレッグ・ノーマンのもとへ…
このようにして、二人は信頼を深めていき、
1977~1980年まで、4年連続で賞金王に輝きました。
ですがその後、イップスによるショートパットの不調に苦しみ、
1987年にナビスコ選手権で3シーズンぶりに優勝した後は、
優勝から遠ざかるようにようになります。
当たり前ですが、選手が試合に出なければ、
キャディにも仕事はありません。
そこで二人は、コンビを解消し、
ブルースは当時活躍していたグレッグ・ノーマンのキャディを
務めることになりました。
ブルースがノーマンとのコンビで快進撃を続けていた頃、
トムは未だにイップスの不調から抜け出せずにいました。
そんなある日。。。
トムのもとに、ブルースからトムへ
誕生日のお祝いの電話がかかってきました。
その電話口で、ブルースはこう言いました。
「ノーマンのキャディは、もうやめようと思う」
その言葉に続けて、ブルースはこう言いました。
「確かに僕は今、世界の舞台に立っている。
でもどうせなら、君と一緒にその舞台に立ちたいんだ」
「ふたりで、乗り切ろう。。。」
当時のブルースは、トムのキャディに付いていた頃の
倍のギャラをグレッグ・ノーマンからもらっていたそうです。
ですが、そのギャラを蹴って、
未だ苦しんでいるトムのところに戻ることを選んだのです。
そして、そのコンビ再結成から4年。。。
1996年のPGAツアー「メモリアル・トーナメント」で
二人は9年ぶりの優勝を果たしたのです。
その後、ブルースは結婚し、二人は充実した日々を過ごしていました。
ですが。。。
突然の悲劇…
2002年の暮れのこと。
トムは、ブルースが物を上手くつかむことが出来ず、
ろれつが回っていないことに気づきました。
心配になったトムは、ブルースに病院での検査を勧めました。
すると医師からはなんと、不治の病である
「ALS(筋萎縮性側索硬化症)」という診断がされました。
ご存知の方も多いように、ALSは筋肉が動かなくなり、
徐々に衰えていく病気です。
最終的には、呼吸さえも自力でできなくなってしまいます。
原因不明の難病で、決定的な治療法はなく、
日本でも「指定難病」の一つとされてます。
それを知ったブルースは、トムに迷惑をかけたくないと思い
キャディをやめようとしました。
ですがそんなブルースに、トムはこう言いました。
「あきらめるのか?
これからも僕は世界の舞台に立つ。
でもどうせなら、君と一緒に立ちたいんだ」
自分がイップスによる不調の時、助けてくれたブルースを
今度は自分が助ける番だと、トムは思ったのでしょう。
二人の「最後の舞台…」
2003年の全米オープン。。。
トムは招待選手としての特別参加で出場しました。
ブルースとともに。
カートの使用も認められたものの、
ブルースは自分の足で歩くことを選択しました。
トムは彼のために、バックの重量を軽くしてまで、です。
とはいえ、世界の強者が集まる全米オープンで、
20年もメジャーの勝利がないトムは勝てないだろう、
予選落ちだろうと、誰もが思っていました。
しかし。。。この大会の初日、
なんとトムは首位に立ってしまったのです!
53歳での初日トップは、
全米オープンの史上最高齢の記録でした。
とはいえ、最終日には28位でフィニッシュとなったものの、
その最終18番ホールでは。。。
ギャラリーたちはキャディのブルース・エドワーズに
誰よりも大きな拍手と歓声が送られたのです。
2004年4月8日。午前6時26分…
トム・ワトソンのキャディを30年間務めたブルース・エドワーズは
享年49歳という若さで、天国に旅立ちました。
発病からわずか1年4ヶ月。
その日は奇しくも、彼が最も愛したマスターズの初日でした。
トムは出場したマスターズのインタビューで、
こう話していたそうです。
「先週、ブルースからメールが届いて
『マスターズには僕のヤーデージブックを忘れず持っていくように』
と書かれていました。
出場を辞退する気持ちはなかったのかと聞かれますが、
彼のためにもマスターズには出たかった。
ブルースのヤーデージブックをズボンのポケットに忍ばせて
1番ティーに立ったとき、私にははっきりと
彼の魂がそこにあるのを感じました」
もしかしたらあなたは、2014年に始まった
「アイス・バケツ・チャレンジ」を覚えているかもしれません。
facebookなどのソーシャルメディアで指名された人物が
「氷水」をかぶるか、または100ドルをALS協会に寄付する。
あるいはその両方を行うのいずれかを、24時間以内に選択する。
このチャレンジに、64歳になったトムも参加しました。
そして、氷水をかぶるチャレンジの前に
彼はカメラに向かってこう語りかけました。
「This is for you! Bruce.(これを君に捧げるよ!ブルース)」
今日はこんなところにしておきます。
もし疑問については、コメントいただだいたものから
お答えできる範囲で順次お返事を書いています。
画像付きでないと説明が難しいものについては
お答えできないことがあることをご承知ください。
なおお読みになった方は、
そちらについても再度コメントをいただけると
「既読」かどうかが私から見てもわかるのでありがたいです。
それでは、今日はこのへんで。
<本日のオススメ>
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アプローチの自信喪失を解消して頂けました」
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